【思い出ばなし】第49回全島エイサーまつり後編 〜本祭

まほろば旅日記編集部

2013年08月31日 03:22


●第49回全島エイサーまつりにて

前編の全島エイサー2004 前夜祭に続いて,今回は後編。
 
2004年9月12日(日),台風で前夜祭もろとも延期になっていた第49回全島エイサー本祭が行われました。当日,自分は青年会エイサーの演目が始まる直前に会場のコザ運動公園に到着しました。
 
第49回全島エイサー本祭のコラムをどうぞ。
 
9月12日の全島エイサー本祭には午後4時に会場に到着しました。
昨日の前夜祭とは打って変わって、グランド席も観客席も既に観客で一杯でした。



●沖縄市嘉間良青年会

 晴天の下、今年の青年エイサーのトップバッターは沖縄市嘉間良青年会。33年ぶりの出場とのこと。左右の門から入場する勇姿が見えると客席の一角で声援があがりました。また、全島エイサー初出場の沖縄市東青年会(4番目出場)にも地元ファンが駆けつけていたようで大きな歓声が上がっていました。エイサーだけでなく地域との結束こそが青年会の良い所だなと思わされました。


●金武町並里区青年会。第49回全島エイサー,晴天下での演舞(左),新宿エイサー祭り2004での女子手踊り(右)

 嘉間良青年会に続いて演舞したのが金武町並里区青年会。

ここは今年、地元東京の新宿エイサー祭りにも参加していました。新宿では夜のコマ劇場前の小さな広場で所狭しと熱演していましたが、今度は広々としたグランド一杯に堂々たる演舞を見せてくれました。並里区青年会の特徴としてまず挙げられるのは、カネ打ちが居る(4人)ことです。

「カネは叩き方が少しでも違うと音がズレるので,経験を積んだ会員が担うんですよ。」

これは念仏踊りの名残だそうですが最近ではカネ打ちが居る青年会は少ないと、ベテラン会員のIさんがカネ打ちの型をしながら教えてくれました。ここのエイサーは戦後に具志川から金武に伝わったとのことでした。

「東京は人、モノ、情報が溢れていて、永住ではなく2,3年勉強や経験を積むには魅力的な場所だと思います。」

 そう感想を述べてくれたのは,締太鼓で新宿遠征に参加したTさん(大学生)。本日も締太鼓でした。皆さん、自分達が演舞する側なので旧盆は他団体のエイサーを見て回るなど叶わず、この日は他団体のエイサーを十分に鑑賞したいと言っていました。
並里青年(なんざとせいねん)、諸(むる)おつかれさまでした。



●嘉手納町千原郷友会の勇猛な手踊り(左)と読谷村楚辺青年会,最後の「唐船どーい」の場面(右)

祭りはさらに盛り上がりを見せました。伝統エイサーの名門,嘉手納町千原郷友会が円陣を組んで豪快に踊りだすと観客席からどっと歓声があがりました。男性ばかり半腰になり大足を蹴上げるような荒々しい演舞とフェーシは首里士族の流儀を今に伝えるものなのでしょう。
伝統といえばもう一つ。読谷村に伝わるエイサーを披露してくれたのは読谷村楚辺青年会。千原エイサーと同様に円陣を組んでの演舞で、さらに手踊りが多いのが特徴です。
衣装などは現代エイサー化しているのかも知れないけれど、千原郷友会も楚辺青年会も戦前より前のエイサーはこんな感じだったのではと思わせる素朴でユニークなエイサーでした。



●沖縄市園田青年会

 グランドに電灯が灯るころ,沖縄市エイサーの元祖ともいうべき園田青年会が「南嶽節」に合わせてテンポの早い振り、バチさばきで颯爽と登場すると、観客席から「ナンバーワン!」と叫ぶ声が上がりました。特に、こねり手を駆使した女性達の流れるような手踊りはコザに強豪多しといえども、他団体にはない大変洗練されたものだと思い見応えがありました。


●沖縄市越来青年会

 その後、3団体が続きました。数年前に県立某病院で演舞を披露し多くの患者さんに感動と希望を与えたという糸満市喜屋武青年会、2年連続出場で緩急の演技が絶妙な沖縄市越来青年会、チョンダラーのコッケイ踊りとしめやかなエイサーの並立が古い念仏踊りの形を残すといわれる勝連町平安名青年会。それぞれの持ち味で見る者を魅了してくれました。


●勝連町(現,うるま市勝連)平安名青年会

 全島エイサー2日間の大トリを飾ったのは、9月3日の道ジュネー大会でも迫力ある演舞で注目を集めていた沖縄市諸見里青年会です。獅子が描かれた旗と「諸見里青年会」の旗,2本の大きな旗を先頭に、大太鼓、締太鼓、男女の手踊りが織り成す堂々とした演舞と整然とした隊列が近づいてくると会場の盛り上がりも最高潮に達しました。持ち味のダイナミックな太鼓と女性手踊りが打ち鳴らす四つ竹にも一層気合いが入り、量・質ともに他の追従を許さないエイサーは祭りの最後を締めくくるのに相応しい,というより今の青年会メンバーにとっては事実上,初めての大トリとは思えないほど貫禄でした。


●沖縄市諸見里青年会

(あとがき)
 
諸見里青年会による最後の演舞の後、出演団体と観客交えての大カチャーシー&花火の打ち上げになりました。

今回の第49回全島エイサーまつりは台風による延期の影響で客足は少ないだろうと思ったのですが、2日間あわせて結局延べ23万人もの入場があったそうです。エイサーは多くの人々に愛されているのだなと思いました。
 今回、全島エイサーを通して多くのエイサーを3日間で見てきたのですが、一言で感想を言えば、色々なエイサーがあり、どれも素晴らしいなというものでした。どこがナンバー1かとよく取り沙汰されるエイサーですが、今回、多くのエイサーを見て、まだまだエイサー素人な私にはどこもナンバー1に思えて困ってしまいました。

「どの青年会も自分達のエイサーが一番だと思って演舞しているんだよ」

沖縄市のある青年会長だった方がこう言っておられたのを覚えていますが、全島エイサーを見て、なるほどという気がしました。この時期、全島エイサーを振り返ってみて、目に見える演舞そのものよりも一番でありたい、最高のエイサーを見せたいと努力している姿こそ一番ということなのかもしれないなと考えさせられます。
 翌2005年は第50回の節目。また次の夏も勇壮なエイサーを見せて欲しいなと願いつつ、レポートのペンを置きたいと思います。

今回は素晴らしいエイサーを見せていただいて大変ありがとうございました。






2004年12月 公表


・・・以上,2004年12月に,某沖縄情報サイト上に寄稿・公開された「第49回全島エイサーまつり本祭」のコラムです。写真は当時掲載したものと異なるカットをいくつも出していますが,文章のほうは一部加筆・修正したもののほぼ当時のままです。
 ところで,この沖縄全島エイサーまつりですが,当初は「全島エイサーコンクール」として始まったことはエイサーファンの間ではよく知られています。文字通り,技量や隊形,服装などでエイサーを審査,順位付けするものだったのですが,1956年に第1回全島エイサーコンクールが始まった際には,「沖縄戦での多大な戦没者を供養する」という大会スローガンも掲げていたことを最近知りました。
 この前編のまえがきで「全島エイサーまつりは、旧盆の役目を果たした各地の青年達が演舞を披露する晴舞台であり、旧盆後の大きな楽しみ」的なことを,自分は6年前に書いていますが,今,1956年当時のスローガンを踏まえたうえで考えると,エイサーコンクールを引き継ぐ現在の沖縄全島エイサーまつりについても,戦没者供養という大目的は有効な(生きている)のではないかな,と思ったりするわけです。
 
案外,旧盆後の大きな余興と受け取られている沖縄全島エイサーまつりだけど,それだけじゃなく,実は先の大戦で亡くなった大勢の先人を慰霊している。

しばしば全島エイサーを襲う台風は涙雨。

あの楽しげな祭典も,戦没者供養も目的として始まったことを思うと身の引き締まるような思いがしなくもないですね。


●今年の第55回全島エイサーまつりに出場した恩納村恩納区青年会(写真は2006年の旧盆に恩納村で撮影されたもの)

なお,2004年の第49回全島エイサー本祭の出場団体は次のとおりです。

●2004年9月12日(日),第49回全島エイサーまつり出場団体(出場順)
琉球風車/沖縄市立室川小学校/沖縄市国際交流協会/沖縄市婦人連合会/沖縄市嘉間良青年会/金武町並里区青年会/嘉手納町千原郷友会(千原エイサー保存会)/沖縄市東青年会/読谷村楚辺青年会/琉球國祭り太鼓/沖縄市園田青年会/糸満市喜屋武青年会/沖縄市越来青年会/勝連町平安名青年会/沖縄市諸見里青年会(トリ)

そして,2010年の第55回全島エイサー本祭の出場団体は次のとおりです。

●2010年9月12日(日),第55回全島エイサーまつり出場団体(出場順)
沖縄市立室川小学校/沖縄市国際交流協会/沖縄市婦人連合会/沖縄市安慶田青年会/恩納村恩納区青年会/嘉手納町千原郷友会(千原エイサー保存会)/宜野湾市十九区青年会/琉球國祭り太鼓/沖縄市越来青年会/糸満市大里青年会/沖縄市園田青年会/うるま市平敷屋(東)青年会/沖縄市諸見里青年会(トリ)

2010年はきっと恩納村の恩納区青年会が,沖縄にはこんなエイサーもあるよとばかりにコザ運動公園に並み居る青年たちと大勢の観客を前に異彩を放ったのではないでしょうか。

2010/9/17 KI執筆

2012/9/5 島リメイク

2013/8/31 KI執筆

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