2013年08月30日
【思い出ばなし】第49回全島エイサーまつり前編 〜前夜祭
来たる2013年8月31日と9月1日に,第58回全島エイサーまつりが開催されますね。自分が全島エイサーまつりを観たのももう9年前のことになります。
全島エイサー開催に合わせて,当時のレポート記事を上げましょう。
まずは,前夜祭の様子から,どうぞ。
●2004年9月3日,全島エイサー前々夜を盛大に飾った道ジュネーにて,沖縄市山里青年会(左)と沖縄市安慶田青年会(右)。この夜は,翌日からの予定が全て延期になるとは夢にも思いませんでした。
思い起こせば,2004年9月4日の土曜日。午前中に会場設営がほぼ完了していた第49回全島エイサーまつりでしたが,台風18号が急に進路を変えて沖縄本島に向かってきたため,開始予定時刻直前に前夜祭ともども順延という憂き目に遭いました。
当日は,県外からこの全島エイサーまつりを観に来た大勢が台風のせいで少なからず打撃を被ったのですが,その中には自分もいました。そして,当時,同じ日に東京から沖縄市に来ていた沖縄ファンクラブのツアー御一行も・・・
本来ならば全島エイサー本祭が開催されるはずの9月5日は沖縄本島の交通機能は丸一日,麻痺状態。中央パークアベニューは根元から折れたパパイヤの木が無残な姿で散乱・・・
台風が去り,交通機能が回復した翌日,友軍だった沖縄ファンクラブ御一行は東京へと帰っていきましたが,自分の場合は,飛行機が取れなかったり,現地で発熱したり,そもそもこの旅行は半ば某沖縄情報サイト(※)の編集部からの指示によるものだったことなどいろいろとあって結局,翌週末まで,ひとり沖縄に留まっていた次第。
さて,前置きはこれくらいにして,今回は6年前に延期になった第49回全島エイサーまつりの様子をご紹介したいと思います。
『まえがき
去る2004年9月、第49回全島エイサーまつりが行われました。旧盆の道ジュネーが祖霊を送迎し村廻りする「行事」であるのに対し、全島エイサーまつりは、旧盆の役目を果たした各地の青年達が、自分達の演舞を披露する晴舞台です。
旧盆後の大きな楽しみである全島エイサーですが、参加する青年達にとっては、自分達のエイサーで県内外から訪れる観客をどれだけ魅せることができるのか、また地域の期待も担っての正念場であるとも言えるでしょう。
エイサーの季節が終わって3ヶ月経とうとしていますが、今回、9月11日に行われた全島エイサーまつりの前夜祭(第26回沖縄市青年まつり)と9月12日の全島エイサーまつり本祭を振り返ってレポートしてみたいと思います。
第49回全島エイサーまつり前夜祭(第26回沖縄市青年まつり)
●糸満市大里青年会のハントーカタミヤー(左)と太鼓(右)
9月4日に開催予定だった前夜祭(沖縄市青年まつり)ですが、台風18号のため1週間遅れの開催になりました。
16時半、開会式が終わりエイサーまつりのトップを切ったのは糸満市から招聘された大里青年会。ハントーカタミヤー(酒甕担ぎ)の座開きの舞いに続いて、エイサーが始まりました。大太鼓を先頭にパーランクーの男性達が二列に整然と並び、一糸乱れず太鼓を打つ姿は、まつりの幕開けに相応しいものでした。私は当日、風邪気味でしたが、青年達の渾身の演舞に体のだるさもいつしか忘れていました。本当に1週間待って良かったと思わせてくれました。
●沖縄市久保田青年会
続いて沖縄市から5団体が連続で出場しました。中でも久保田青年会はオリジナル曲の「久保田ニーセーター」など独特な印象で、男女とも空手を取り入れたキビキビとした動作が見事なエイサーでまつりの前半を締めくくりました。
●沖縄市安慶田青年会(左)と沖縄市松本青年会(右)
●宜野湾市我如古青年会(左)と具志頭村(現,八重瀬町)具志頭青年会(右)
あたりが暗くなる頃、沖縄市南桃原青年会が自慢のオリジナル曲「南桃原間切り」に合わせてスローテンポな中にも力のこもった演舞で後半の幕開けをしました。また、宜野湾市から招聘の我如古青年会は与那城仕込みの華麗でしめやかなパーランクーエイサーで見るものを魅了しました。この2団体が「静」ならば、後に続く青年会は「動」のエイサーかなと感じました。「仲順流れ」や「スーリ東節」が一見スローテンポな登川青年会は大太鼓の大胆なバチ裁きが激しく、具志頭青年会は本日の出場団体の中で最もハイテンポで動作が機敏でした。
●沖縄市山里青年会(左)と沖縄市胡屋青年会(右)
夜8時を回る頃、残る団体は2つ。沖縄市の胡屋青年会と山里青年会です。いずれ劣らない堂々たるエイサーでまつりの終盤を飾ってくれました。大太鼓集団を先頭に貫禄十分な演舞の胡屋青年会は、さすが昨年の本祭で大トリを務めただけのことはあると思いました。隊列をなして間近に迫ってくる青年達に、思わずシャッターを切る手が震えました。 会員が全員男性の山里青年会もまた、空手を存分に取り入れ迫力満点の男性手踊りで前夜祭の最後を飾ってくれました。
夜10時、全ての演舞が終わり、参加した青年達も観客達もそれぞれに公民館、自宅、宿泊先へ帰っていきました。私はエイサーが終ると風邪のだるさがどっと戻ってきました。この日、まつりに出なかった地元沖縄市の住吉青年会が深夜、中の町社交街で道ジュネーしていたそうですが、さすがに見に行く元気はありませんでした。
・・・以上,2004年12月に,前出の情報サイトに私が提出し,同サイト上で公開された「第49回全島エイサーまつり前夜祭」のコラムです。
このサイトを運営していた会社の確認を得たので,このたび,沖縄ファンクラブ元メンバー同士のよしみで「KIのエイサー旅日記」御中に寄贈・再掲させていただきました。ただし,写真は当時掲載したものと異なるカットもいくつか出していますが,文章のほうは当時のままです。
ところで,2004年の全島エイサー前夜祭,及び,この2010年の全島エイサー前夜祭の出場団体は次のとおりです。
●2004年9月11日(土),前夜祭出場団体(出場順)
糸満市大里青年会/沖縄市池原青年会/沖縄市松本青年会/沖縄市室川青年会/沖縄市安慶田青年会/沖縄市久保田青年会/沖縄市南桃原青年会/宜野湾市我如古青年会/沖縄市登川青年会/具志頭村具志頭青年会/沖縄市胡屋青年会/沖縄市山里青年会(トリ)・・・以上12団体
●2010年9月11日(土),前夜祭出場団体(出場順)
沖縄市知花青年会/沖縄市泡瀬第三青年会/沖縄市胡屋青年会/沖縄市東青年会/沖縄市山内青年会/沖縄市住吉青年会/沖縄市嘉間良青年会/沖縄市南桃原青年会/沖縄市松本青年会/沖縄市登川青年会/沖縄市室川青年会/沖縄市照屋青年会/沖縄市久保田青年会/沖縄市山里青年会(トリ)・・・以上14団体
次回は後編,第49回全島エイサーまつり本祭をご紹介します。
全島エイサー開催に合わせて,当時のレポート記事を上げましょう。
まずは,前夜祭の様子から,どうぞ。
【思い出ばなし】延期になった全島エイサーまつり2004 前編
●2004年9月3日,全島エイサー前々夜を盛大に飾った道ジュネーにて,沖縄市山里青年会(左)と沖縄市安慶田青年会(右)。この夜は,翌日からの予定が全て延期になるとは夢にも思いませんでした。
思い起こせば,2004年9月4日の土曜日。午前中に会場設営がほぼ完了していた第49回全島エイサーまつりでしたが,台風18号が急に進路を変えて沖縄本島に向かってきたため,開始予定時刻直前に前夜祭ともども順延という憂き目に遭いました。
当日は,県外からこの全島エイサーまつりを観に来た大勢が台風のせいで少なからず打撃を被ったのですが,その中には自分もいました。そして,当時,同じ日に東京から沖縄市に来ていた沖縄ファンクラブのツアー御一行も・・・
本来ならば全島エイサー本祭が開催されるはずの9月5日は沖縄本島の交通機能は丸一日,麻痺状態。中央パークアベニューは根元から折れたパパイヤの木が無残な姿で散乱・・・
台風が去り,交通機能が回復した翌日,友軍だった沖縄ファンクラブ御一行は東京へと帰っていきましたが,自分の場合は,飛行機が取れなかったり,現地で発熱したり,そもそもこの旅行は半ば某沖縄情報サイト(※)の編集部からの指示によるものだったことなどいろいろとあって結局,翌週末まで,ひとり沖縄に留まっていた次第。
※ディープな沖縄が定評のサイトでしたが2007/3/31に事業停止し,現在閉鎖
さて,前置きはこれくらいにして,今回は6年前に延期になった第49回全島エイサーまつりの様子をご紹介したいと思います。
『まえがき
去る2004年9月、第49回全島エイサーまつりが行われました。旧盆の道ジュネーが祖霊を送迎し村廻りする「行事」であるのに対し、全島エイサーまつりは、旧盆の役目を果たした各地の青年達が、自分達の演舞を披露する晴舞台です。
旧盆後の大きな楽しみである全島エイサーですが、参加する青年達にとっては、自分達のエイサーで県内外から訪れる観客をどれだけ魅せることができるのか、また地域の期待も担っての正念場であるとも言えるでしょう。
エイサーの季節が終わって3ヶ月経とうとしていますが、今回、9月11日に行われた全島エイサーまつりの前夜祭(第26回沖縄市青年まつり)と9月12日の全島エイサーまつり本祭を振り返ってレポートしてみたいと思います。
第49回全島エイサーまつり前夜祭(第26回沖縄市青年まつり)
●糸満市大里青年会のハントーカタミヤー(左)と太鼓(右)
9月4日に開催予定だった前夜祭(沖縄市青年まつり)ですが、台風18号のため1週間遅れの開催になりました。
16時半、開会式が終わりエイサーまつりのトップを切ったのは糸満市から招聘された大里青年会。ハントーカタミヤー(酒甕担ぎ)の座開きの舞いに続いて、エイサーが始まりました。大太鼓を先頭にパーランクーの男性達が二列に整然と並び、一糸乱れず太鼓を打つ姿は、まつりの幕開けに相応しいものでした。私は当日、風邪気味でしたが、青年達の渾身の演舞に体のだるさもいつしか忘れていました。本当に1週間待って良かったと思わせてくれました。
●沖縄市久保田青年会
続いて沖縄市から5団体が連続で出場しました。中でも久保田青年会はオリジナル曲の「久保田ニーセーター」など独特な印象で、男女とも空手を取り入れたキビキビとした動作が見事なエイサーでまつりの前半を締めくくりました。
●沖縄市安慶田青年会(左)と沖縄市松本青年会(右)
●宜野湾市我如古青年会(左)と具志頭村(現,八重瀬町)具志頭青年会(右)
あたりが暗くなる頃、沖縄市南桃原青年会が自慢のオリジナル曲「南桃原間切り」に合わせてスローテンポな中にも力のこもった演舞で後半の幕開けをしました。また、宜野湾市から招聘の我如古青年会は与那城仕込みの華麗でしめやかなパーランクーエイサーで見るものを魅了しました。この2団体が「静」ならば、後に続く青年会は「動」のエイサーかなと感じました。「仲順流れ」や「スーリ東節」が一見スローテンポな登川青年会は大太鼓の大胆なバチ裁きが激しく、具志頭青年会は本日の出場団体の中で最もハイテンポで動作が機敏でした。
●沖縄市山里青年会(左)と沖縄市胡屋青年会(右)
夜8時を回る頃、残る団体は2つ。沖縄市の胡屋青年会と山里青年会です。いずれ劣らない堂々たるエイサーでまつりの終盤を飾ってくれました。大太鼓集団を先頭に貫禄十分な演舞の胡屋青年会は、さすが昨年の本祭で大トリを務めただけのことはあると思いました。隊列をなして間近に迫ってくる青年達に、思わずシャッターを切る手が震えました。 会員が全員男性の山里青年会もまた、空手を存分に取り入れ迫力満点の男性手踊りで前夜祭の最後を飾ってくれました。
夜10時、全ての演舞が終わり、参加した青年達も観客達もそれぞれに公民館、自宅、宿泊先へ帰っていきました。私はエイサーが終ると風邪のだるさがどっと戻ってきました。この日、まつりに出なかった地元沖縄市の住吉青年会が深夜、中の町社交街で道ジュネーしていたそうですが、さすがに見に行く元気はありませんでした。
2004年12月 公表』
・・・以上,2004年12月に,前出の情報サイトに私が提出し,同サイト上で公開された「第49回全島エイサーまつり前夜祭」のコラムです。
このサイトを運営していた会社の確認を得たので,このたび,沖縄ファンクラブ元メンバー同士のよしみで「KIのエイサー旅日記」御中に寄贈・再掲させていただきました。ただし,写真は当時掲載したものと異なるカットもいくつか出していますが,文章のほうは当時のままです。
ところで,2004年の全島エイサー前夜祭,及び,この2010年の全島エイサー前夜祭の出場団体は次のとおりです。
●2004年9月11日(土),前夜祭出場団体(出場順)
糸満市大里青年会/沖縄市池原青年会/沖縄市松本青年会/沖縄市室川青年会/沖縄市安慶田青年会/沖縄市久保田青年会/沖縄市南桃原青年会/宜野湾市我如古青年会/沖縄市登川青年会/具志頭村具志頭青年会/沖縄市胡屋青年会/沖縄市山里青年会(トリ)・・・以上12団体
●2010年9月11日(土),前夜祭出場団体(出場順)
沖縄市知花青年会/沖縄市泡瀬第三青年会/沖縄市胡屋青年会/沖縄市東青年会/沖縄市山内青年会/沖縄市住吉青年会/沖縄市嘉間良青年会/沖縄市南桃原青年会/沖縄市松本青年会/沖縄市登川青年会/沖縄市室川青年会/沖縄市照屋青年会/沖縄市久保田青年会/沖縄市山里青年会(トリ)・・・以上14団体
次回は後編,第49回全島エイサーまつり本祭をご紹介します。
2010/9/16 KI執筆
2012/9/4 島大介がリメイク
2013/8/30 KIリメイク
Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:28
│エイサー2004