2013年07月16日

思い出の青年会?〜名護さくらまつりの青年会エイサー

そもそも,自分が初めて青年会エイサーの実物を見たのは2002年の1月のこと。
 場所は名護市,紅色のカンヒザクラを見ようと名護さくらまつりを訪れていた夜,思いがけず地元の青年会エイサーのパレードに出くわしたのです。
 その当時の自分はカメラといえば「写ルンです(使い捨てカメラ)」しか持っておらず,あいにくこの夜のエイサー撮影に大失敗した次第・・・
闇夜のカラスばかりが写った真っ黒なプリントを手に,写真教室への入会とリベンジを誓って,翌2003年1月に撮影した同じ名護さくらまつりのエイサー写真とともに,青年会エイサーと自分のなれそめを振り返りましょう。
思い出の青年会?〜名護さくらまつりの青年会エイサー
●名護市青年団「やんばる船」のエイサー

2002年1月26日の土曜日。この日付はなぜか未だに忘れてはいません。
 さくらまつり開催中の名護市。昼間は市街から名護城に至るまでの川沿いに出店が並び,名護城公園の桜はほぼ見ごろ,山すそ全体が紅色に染まっていたと記憶しています。大勢の人で賑っていましたが,夏場ならともかくこの桜の時期は本土の観光客はほとんど見られないとのこと(8年前当時の話ですが)。確かに観光客っぽい人影は認めませんでしたが,外人の姿が結構目立ちました。
思い出の青年会?〜名護さくらまつりの青年会エイサー
●2002年1月26日,ナングスクにて

エイサーが始まったのはあたりが暗くなる時刻。

オキマートの前。

当時,エイサーで参加していたのは,旗頭や大太鼓に書かれた名前から「名護市青年団やんばる船」,「東江青年会」,「名桜大学」,「屋部若獅子会」の4団体だったと記憶していますが,もしかしたら一部間違っているかもしれません。
 
名護十字路を経て,ヒンプンガジュマルのところまでのエイサーのパレードでした。

思い出の青年会?〜名護さくらまつりの青年会エイサー
●名護市屋部若獅子会のエイサー

初めて見る地歌サンシンの弾き流し,素朴で力強い太鼓エイサー,これまた素朴だけど優雅な女子手踊り

頭の被り物(マンサージ)そして大太鼓,小太鼓(締太鼓)は,前年(2001年)の夏に東京中野区で見た創作太鼓集団「琉球國祭太鼓」と共通でしたが,それ以外はまるで別物でした。もちろん曲目も,踊りの振り付けも,手踊りの存在も・・・現在の自分から見れば「エイサーの常識」で済むことも,8年前の自分にとっては,太鼓のバチで頭を思いっきり殴られたような強い印象的な光景でした。

もしかして,本当のエイサーはこれ?

勇壮でいて同時にもの悲しい雰囲気も醸し出す不思議な青年エイサーに釘付けになっていました。上の直感的な自問に「Yes」と答を出すのには数日とかかりませんでした。

思い出の青年会?〜名護さくらまつりの青年会エイサー
●名護市屋部若獅子会のエイサー(締太鼓)

「エイサーとは沖縄の旧盆に地域で踊られる先祖送りの芸能である」

実は,名護のエイサー見学直前の自分にはまだエイサーの基本中の基本ともいうべき上記のことがきちんとわかっていない状態でした。おそらく「創作エイサー」と「伝統エイサー」の区別など出来る状態ではなかったはず。青年会エイサーに出会う前に,いわゆる創作エイサーに遭遇していたのです。前述の創作太鼓集団「琉球國祭太鼓」のことですが,彼らの中国風の出で立ちとアクロバット的な演技を漠然とエイサーだと誤解し(※註1),中国のカンフーを思わせる振り付けには,琉球は昔から大陸文化の影響も強かったからああいう芸能もあるのだろうと勝手に納得してしまっていた次第。

“う〜ん,琉球舞踊はいいと思うけれど,エイサーはどうもイマイチ・・・”by 2001年当時の若かりし自分

2002年1月26日,名護さくらまつりでの夜の宴は,そんな自分の考えを思いがけずも一掃する大きなきっかけでした。そして,「創作」と「伝統」の区別,および上述の基本中の基本を知るのに(※註2),さほど時間はかかりませんでした。

午後6時半から始まった,名護地元のエイサーはヒンプンガジュマルの前で宴もたけなわでした。各団体とも「唐船どーい」を一通り流してラストスパート。一層,ヒートアップして午後9時過ぎに終了しました。

思い出の青年会?〜名護さくらまつりの青年会エイサー
 ●2003年のさくらまつり出場の名護市伊差川青年会のエイサー

もしかして,本当のエイサーはこれ?

青年会のエイサーがどういうものかを初めて見せてくれた名護市のエイサー。

「創作」と「伝統」は別物であることと地域の青年会が伝統エイサーの担い手であることを知るきっかけを自分にくれました。

今思えば,8年前のこの2時間あまりの体験は自分にとっては大変重要な転機だったと思います。なぜなら,沖縄在住でもない青年会とも無関係な自分が,その後に沖縄各地のエイサーを見学するために最低限必要だと思われる基礎知識などを準備する機会となったから。
 2002年冬の名護さくらまつりのエイサーは「KIのエイサー旅日記」の序章ともいうべき体験だったのかもしれません。

2010年7月2日


(註)
※1当時祭り会場でアナウンサーが琉球祭太鼓を指して「皆さん,これが沖縄の伝統エイサーです」と説明していたのを鵜呑みにしたわけです。
※2名護さくらまつりのエイサーは時期的には旧盆に程遠い冬の催しだったけれど,この時に青年会エイサーを見た感動が原動力となって,いろいろ調べ,本来,夏の旧盆には各地の集落で道ジュネーが行われる事実を間もなく知るに至った次第。


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Posted by まほろば旅日記編集部 at 23:43 │エイサー2003