2013年07月16日
中部のエイサー 〜嘉手納・コザ・北谷
●北谷町栄口区青年会のエイサー (2008年8月31日,桑江グランドにて撮影)
今回は,沖縄市・嘉手納町・北谷町のエイサーについてお話しましょう。
沖縄県の地図を広げてみればわかりますが,この3市町はお互いピッタリ隣接し合っています。そのためなのかどうなのか,この3地域のエイサーはお互いかなり似ているといえば似ているのです。
マンサージにウッチャキスタイルに代表される衣装, 大太鼓・締太鼓・手踊りの3段構成の隊列, 非常に激しいテンポの演舞
一見しただけでは,沖縄市・嘉手納町・北谷町のエイサーを見分けるのは容易ではないのではないでしょうか。かく言う自分も「ああ,これはコザのエイサーだよ」,「あっちは嘉手納のエイサーだねぇ」,「そしてそっちは北谷」などとパッと見で,きちんと見分ける自信はありません。ただ,沖縄市と嘉手納・北谷の間ではエイサーの曲目が,やや違う傾向があるらしいという話も聞きます。パワフルさが好評を博するこの地域のエイサー,沖縄県外に最も伝播しているのもこのタイプのエイサーです。
ここ2,3年,夏には沖縄市に拠点を置いて,エイサー見学をしている自分ですが,今年の旧盆とその2週間後のエイサーフェスティバルin北谷(桑江グランド)において,これら3地域のエイサーを見学してきました。
初心者の見立てではありますが,類似した3地域のエイサーにも,ささやかながら違いが見て取れましたので,これらのことを写真レポートに織り交ぜてこれから紹介していきます。なお,沖縄市の青年会エイサーを基準にした説明の仕方になっている箇所もありますがどうかご了承ください。
【コザのエイサー】
●左から,諸見里青年会(大太鼓),園田青年会(締太鼓),胡屋青年会(女子手踊り),山里青年会(男子手踊り)
コザ(沖縄市)については,現在よくみられる青年会エイサーの衣装など基本スタイルを創った園田青年会があること,全島エイサー祭の開催地であることが,エイサーの町としての知名度に寄与しているのではないでしょうか。
自分はここ数年,旧盆には沖縄市に宿泊しているため,沖縄市のエイサーを見る機会が多いです。
諸見里青年会,山里青年会,胡屋青年会,園田青年会,久保田青年会
池原青年会,安慶田青年会,東青年会,照屋青年会,室川青年会
これまでに自分が,道ジュネーしているところに出会ったことがある青年会です。イベントや合同演舞(農連市場前など)で見た青年会も含めればもっとあるのですが,地域を道ジュネーしている最中にお見かけしたのは以上の10団体だけです。それぞれの団体とも衣装の色,曲目,地謡の唄いかた,振りに少しずつ違いがあるのですが,自分が感じたところを少し述べると,同じ沖縄市でも,西部(北谷寄りの地域)と東部(うるま市寄りの地域)では,演舞曲目や隊列の違いに一定の傾向がありそうな気がしています。
沖縄市東部にある青年会の多くは,うるま市具志川地区の青年会エイサーがよく用いる「豊節」や「デイゴ音頭」を演舞曲目に取り入れていることが多いようです。そして,団体によっては1列から2列への隊列変化や隊列の交差を行うところもあります。
この「豊節」や「デイゴ音頭」による隊列変化といった特徴は,沖縄市西部にある,諸見里・山里・胡屋・園田・久保田の各青年会エイサーには見出されませんでした。
●左から,照屋青年会(大太鼓),東青年会(締太鼓・チョンダラー),地謡

【嘉手納のエイサー】
●西区青年会のエイサー。大太鼓の両面を上下に担ぐのは千原エイサーと共通の特徴です(2008年8月16日撮影)
嘉手納と言えば,まず名前が挙がるのは千原エイサーではないでしょうか。その詳細は前記事「旧盆エイサー2008,たび日記」で紹介した通りですが,嘉手納町には千原以外にも,いくつか青年会エイサーがあります。
その中で自分が見たのは西区青年会のエイサー。大太鼓・締太鼓の男子と手踊りの女子から成ります。西区は戦後,複数の区域が合併してできた行政区らしいのですが,合併前の各地区に古くからあったエイサーの特徴を混ぜ合わせて現在の西区エイサーが出来上がったとのこと。そのため,西区としての歴史はそれほど古くないものの嘉手納エイサーの古い型を継承しているらしいです。力強いバチさばきが大変印象的でした。演舞曲目や大太鼓の構え方に千原エイサーとの共通点が見出せました。

沖縄市や北谷町のエイサーも起源をたどれば,嘉手納の千原あたりの影響が認められるという話を耳にしたことがあります。もしかすると嘉手納町の千原や各青年会のエイサーをもっと観察すれば,現在広く流行している締太鼓エイサーの原型について何かわかるかもしれませんね。自分にとっては今後の課題です。
●千原エイサー 。締太鼓は前かがみに水平に構えて強打します(2008年8月16日撮影)
【北谷のエイサー】
●栄口区青年会の「唐船どーい」。大太鼓も締太鼓も旗を囲んで何度もジャンプします(2008年8月31日撮影)
去る8月31日,エイサーフェスティバルin北谷で,栄口区青年会,砂辺区青年会,謝苅区青年会のエイサーを見学しました。
18時過ぎ,到着したときには,グランドの周囲は何重にも人垣ができていました。まずお目にかかったのは圧倒的にパワフルな栄口青年会。その迫力は沖縄市や嘉手納町のエイサーに勝るとも決して劣らないといっても過言ではありませんでした。先頭の大太鼓と締太鼓・手踊りが向い合う隊形での演舞。対峙する大太鼓と締太鼓がバチを手にピタッとキメポーズをとります。そして,最後の「唐船どーい」では一層ヒートアップ。旗頭を囲んだ大太鼓と締太鼓が何度も高くジャンプを繰り返し,見る者を圧倒しました。

●砂辺区青年会の大太鼓,締太鼓,手踊り。(2008年8月31日撮影)
続く,砂辺青年会は,「唐船どーい」の曲に乗せて入場。栄口区青年会と違って,ゆったりした所作も多く,緩急のあるエイサーだなと感じました。中でも,少しハッとしたのは,嘉手納の千原エイサーで用いられる曲があったこと(曲名はわかりません)。それは仲順流りやクダカ節などのように多くの団体で広く使われている曲目ではなかっただけに印象に残りました。今ひとつ印象的だったのは締太鼓のバチさばき(中央の写真参照)。グッと腰を落とし,眼前に水平に突き出した締太鼓を打つ所作は,千原エイサーや千原の影響があるといわれる宜野湾市野嵩三区青年会のエイサーと同様のものでした。あと,観客への配慮でしょうか,演舞の前半では太鼓衆が先頭を占めていましたが,後半では後方にいた女子手踊り衆が先頭へ。おかげで,太鼓も手踊りもすぐ目の前でじっくり見学することができました。
●謝苅区青年会の締太鼓(左)と大太鼓・手踊り(右)
そして,最後に紹介するのは謝苅区青年会。総勢100人に達するのではと思うほどの大所帯は圧巻。「北谷村」の曲に乗せて堂々と入場してきました。この謝苅区青年会も大変パワフルなエイサーでしたが,栄口区青年会が最後にヒートアップするのに対し,最初から最後まで全力で飛ばしっぱなしという感じでした。また,前の砂辺青年会ほど顕著ではありませんでしたが,締太鼓の打ち方が嘉手納のエイサーのそれとやや似通っている(例えば,締太鼓を大きく振りかぶっても沖縄市のエイサーのようにそのまま回転させない)印象を持ちました。
19時半,謝苅区青年会のエイサーは「唐船どーい」とともに終わりました。その後の北谷町からの出場団体は,上勢区青年会と北玉区青年会がまだ残っていましたが,自分はこの夜の最終便(21時那覇空港発)で東京へと帰らなければならなかったので,涙を呑んで桑江グランドを後にしました。
【まとめ】

●沖縄市諸見里青年会(左)と胡屋青年会(中央)の「唐船どーい」。そして沖縄市内でのガーエー(右)
今年,実際に沖縄市・北谷町・嘉手納町のエイサーを見学し,お互い似ているようでも地域間で微妙な差異がありそうだなと感じました。
「唐船どーい」で大太鼓が旗頭を囲んでジャンプなどハイテンションな演舞になる,エイサーガーエー(エイサーオーラセー)という習慣がある,といえば沖縄市と北谷町のエイサーの共通の特徴として有名です。太鼓(特に締太鼓)の打ち方やエイサーの曲目は北谷町と嘉手納町で通じる部分があり,そして,沖縄市内でも東部になると曲目や演舞様式がやや異なってくるようだと今回の旅で感じました。
とはいえ,今回はまだまだざっと見学してきたというレベルですので,今後さらに広く深く調べなければ詳細な結果は示せないと思います。基本的に同様なものなのだろうと昨年まではさほど気にしなかった沖縄市・北谷町・嘉手納町のエイサーですが,どうやら北谷町,嘉手納町,沖縄市東部と沖縄市西部の4地域間でいくぶん差異がありそうだと思いました。
来年以降も,もし沖縄県の旧盆エイサーを見てまわることが出来るならば,もっと調べてみたいテーマではあります。
【付録】頭巾のかぶり方いろいろ




左から,諸見里青年会,謝苅区青年会,安次嶺青年会,久保田青年会
エイサーの女子手踊りのひとつのスタイルが,頭から豆絞りの手拭(ティサジ)を被るというもの。その昔,アングヮー(姉小)達が農作業に従事した時の格好だそうです。よく見れば,手拭のかぶり方ひとつをとっても各青年会ごとに異なっているのがわかるでしょうか。
まず一番左から,諸見里青年会は耳が隠れる程度に被りますが前髪は出しています。
それに対して,2番目の謝苅青年会は浅く被っていて,頭の前半分と耳が出ています。また,ちょっとわかりにくいですが手拭の先端を丸めています。
そして,3番目は安次嶺青年会。。三十数年前に謝苅青年会からエイサーを習った団体です。前髪も隠れるほど深々と手拭を被りこんでいて,親元の謝苅とは手拭の被り方が違うのがはっきりわかると思います。
最後は一番右の久保田青年会。謝苅青年会と同じく浅い被り方ですが,手拭の先端を丸めずにそのまま肩に垂らしています。
以上,手拭の被り方でした。
(KI)
Posted by まほろば旅日記編集部 at 23:44
│旧盆エイサー2008