2012年08月31日

本土の地域に根付くエイサー

本土の地域に根付くエイサー
●地域の寺院,新井薬師の盆踊りにおいて,エイサーを奉納する東京中野真南風エイサー(2011年7月24日,東京中野区にて)


KIです。
こちらにアクセスするのは実に2年ぶりですが,本日2012年8月30日は旧盆ウンケーですね。 
さて,今回は2年前に書いた,「本土の地域に根付くエイサー」を少し手を加えて再掲載します。
 近年,本土においても沖縄県の青年会がやっているものと殆ど変わらないエイサーが少なからず存在しており,それらの中には,本土の信仰体系や地域社会などに巧みに融け込んで,本土のエイサーならではの「肝(チム)」を持ちつつある団体もあるということを2年前の同記事でご紹介しました。


以前,新宿エイサーまつりを題材に,沖縄の地域に根付くエイサーと創作太鼓の違いをお話しました。今回,ご紹介するのはそのどちらのカテゴリーにも属さないエイサーです。
 ところで,伝統的なエイサーと創作太鼓の地理的な分布に明確な偏りはあるのでしょうか。例えば,伝統的なエイサー=沖縄県内の団体,そして,創作太鼓=沖縄県外の団体と一刀両断できるのでしょうか?

・・・答えは「ノー」

今や沖縄県内外に広がるエイサーの現状を鑑みれば,こんな一刀両断的な分類はあまりに乱暴で現実離れしたものと言えましょう。
 沖縄県内には伝統を継承した地域のエイサーしか存在しないのかというとそんなことはありません。創作太鼓団体も多数存在し,那覇市では毎年,「創作エイサーコンテスト」という競技もさかんに行われているほど。「那覇太鼓」,「琉球國祭り太鼓沖縄本部」,「琉楽座」など県外にも名前が漏れ聞こえる団体・組織も多々あります。
 そして,本土には団体は多数あるけれどすべて創作太鼓の範疇である・・・そんなことを公言しようものなら,各方面から太鼓やバチが飛んでくるかもしれません怒りパンチ!
 一昔前(といってもせいぜい10年か20年前)の状況はいざ知らず,現在の本土のエイサー系団体のうち,はっきりと「創作」に分類できる団体の割合は,案外それほど高くないかもしれません。

【本土における青年会型エイサー】
本土の地域に根付くエイサー本土の地域に根付くエイサー
●東京中野の界隈を道ジュネーする新風エイサー(2010年7月17日,中野チャンプルーフェスタにて)

沖縄の青年会出身者が本土で同じ青年会の型のエイサーを人を集めて始めたり,本土の団体でも伝統的な青年会型のエイサーをやることを希望して,本場沖縄の青年会に弟子入りして,その後,暖簾分けしてもらうケースなど,本土においても伝統的なエイサーを継承している事例は結構あります。
 そういうエイサー団体が多数集まった大祭が,先月ご紹介した「中野チャンプルーフェスタ」。東京中野区在住の沖縄出身の人が立ち上げ,故郷の青年会エイサーの基本型を忠実に継承したのが,先日も紹介した「東京中野真南風(まはい)エイサー」や「新風(あらかじ)エイサー」という大きな団体です。また,東京中野区以外にも,沖縄の青年会出身の人が創始した団体や沖縄の青年会と密接に交流し,そのエイサーを導入した事例が多々あります。
 自分で調べたり聞いたりして判った範囲で,本土のエイサー団体の系統を下に示しましょう。

〈本土エイサー団体と沖縄青年会の関連一覧〉       ()内は団体発足の年
・東京中野真南風エイサー(2005年)←沖縄市南桃原青年会
・横浜市沖鶴エイサー会(2003年)←沖縄市山里青年会
・町田琉(1999年)←沖縄市胡屋青年会
・和光青年会(2004年?)←沖縄市園田青年会
・具志川倶楽部←うるま市具志川青年会
・宇座エイサー神奈川倶楽部←読谷村宇座青年会
・小平ゆいまーる(2008年)←うるま市天願青年会
・兵庫県芦屋市琉鼓会(1996年?)←沖縄市諸見里青年会


こういった団体は当然ながら指導元の青年会やエイサーを非常に大切にしており,それを本土で継承する心意気も並々ならないものがあるはずです。そして,エイサーそのものだけではなく,エイサーを担う本場の青年会の在り方や精神をも学び踏襲しようとしています。
 例えば,横浜鶴見の沖鶴エイサー会は沖縄の青年会と同様の活動を目指し,鶴見区で様々な地域活動に取り組んでいるのだそうですし,真南風エイサーも東京中野区の青年エイサーを目指して,地元中野の地域文化に積極的に接し,参画しています。もちろん地域貢献の諸活動も言わずもがなです。

【地域との結びつき:新たな展開】
本土の地域に根付くエイサー

沖縄の青年会が地域を基盤にしているように,本土での青年会型エイサーの担い手の中にははそれぞれ居を定める本土の地域社会に貢献し積極的に融け込んでいる団体さんもあり,地域側もそれを理解して互いに結びついていっているわけですが,その過程あるいは結果として,こういったエイサー団体に本土ならではの新たな展開がいくらか見られています。
 それは・・・

沖縄のエイサーと本土文化の融合

文化融合のような現象が少しずつだけど起きてきています。真南風エイサーが東京中野区の青年エイサーとして地元の地域文化への関与に積極的であると先述しました。具体的には,真南風エイサーはエイサーの曲目の最後に定番の「唐船どーい」とともに地元で親しまれる「東京音頭」を取り入れています。地域の行事を重視し,9月の氷川神社例祭では神輿の担ぎ手として積極的に参画したり,中野チャンプルーフェスタの際には,「新風エイサー」とともに地元の新井薬師に出向いて仏前に毎年エイサーを奉納しています。
 また,東京町田市の町田琉は,東京の文化「神輿」と沖縄の文化「エイサー」の融合をイメージした衣装を採用しています。それ以外にも,地域の神輿が街中に繰り出す祭日にあわせて,エイサーで参加して地域の祭礼とコラボレーションしている実例や,地域の盆踊り大会でエイサーを演舞している実例があったりなど,様々な形で本土の地域に融け込んでいる事例が見受けられます。

本土の地域に根付くエイサー本土の地域に根付くエイサー
●7月25日埼玉浦和にて,神輿とエイサー(左) & 江戸文化「歌舞伎」の隈取をした真南風のチョンダラー(右)

沖縄であれば,はじめに地域(シマ)ありき。地域社会の存在を当然の前提としてそこに青年たちのエイサーが息づいているわけですが,本土の場合はまったく逆で,はじめにエイサーありきの状態から始まったはずです。
 元々,エイサーという文化など存在しなかった本土では,最初は沖縄出身者や有志によってエイサーが踊り始められたはず。沖縄県だと,地域(青年会)とエイサーは一心同体が当たり前だけど,本土では逆に,受け入れられなかったりとか風土に合わなかったりなど,地域社会と結びつくのが難しいという状況が最初は結構起きたんだろうと思います。
 自分は,いつごろから本土の人の間にも沖縄のエイサーが導入され始めたのか定かには知りませんが,今こうして本土で「地域貢献」を目指せるような団体さんも本土に出来てきている状況には短く小さいながらも歴史のうねりを感じますし,ある種の敬意を持ちます。きっと,どの団体さんもここに至るまで色々と大変な道のりを歩んできたんじゃないかな,はるか沖縄から離れた本土で,時には試行錯誤しながらもあるべき姿を求め,目指しているのだろうと。
 沖縄生まれのエイサーだけど,本土のエイサーとして本土の地域の中で生きていくと決めたエイサーとその担い手の団体さんたちが出したひとつの答え「本土文化との共存融合」。沖縄のエイサーを継承すると同時に本土の地域文化をも担い始めつつあるその姿をいろいろと見学していると,50年後、100年後にはもしかしたら,「沖縄オリジナルの伝統エイサー」と肩を並べて存在する「本土の伝統エイサー」という大きなジャンルが存在することもひょっとするとありうるかもしれないとも少し思いました。

本土の地域に根付くエイサー
●東京中野真南風エイサーの新井薬師での奉納演舞(女子手踊り)

袋中上人,お上人様がかつて琉球の人々に伝えただろう念仏が,今こういう形で,かの南島より本土に再び帰ってきていますよ
〜2012年ウンケー,那覇市小禄 袋中寺にて


2010年8月掲載の記事をリメイク(KI)本土の地域に根付くエイサー


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Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:00 │雑談・ひとりごと
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