2013年07月16日
新宿エイサーまつりが終わって思うこと(1)〜古き良きエイサー
さて,2010年の第8回新宿エイサーまつりも終わりましたね。
去る7月31日の土曜日は曇り空ながらも雨もほとんど降らなかったのではと思います。この日の新宿エイサーも無事,滞りなく盛り上がったのではないでしょうか。
自分は当日,クーラーを少し効かせた自宅の部屋で,エイサーの写真整理などしながら過ごしていました。
・・・って,アンタ見に行ってないんかい!?
はい,1回目から昨年までは,いちおう毎年欠かさず現地に足を運んで,エイサーまつりを見ていたのですが,とうとう今年,サボってしまいました。というわけで,先週末の新宿エイサーの実物は見ていないけれど,沖縄からもティーモーイエイサーの雄,読谷村楚辺青年会も迎えて,きっと大盛況だったんじゃないでしょうか。
さて,今回は新宿エイサーまつりに出場した沖縄の青年会についてです。歴代の出場青年会名は前記事で羅列しましたが,こんどは第1回から今年(第8回)までの歴代出場の沖縄青年会を写真ないし動画で鑑賞してみましょう。
去る7月31日の土曜日は曇り空ながらも雨もほとんど降らなかったのではと思います。この日の新宿エイサーも無事,滞りなく盛り上がったのではないでしょうか。
自分は当日,クーラーを少し効かせた自宅の部屋で,エイサーの写真整理などしながら過ごしていました。
・・・って,アンタ見に行ってないんかい!?
はい,1回目から昨年までは,いちおう毎年欠かさず現地に足を運んで,エイサーまつりを見ていたのですが,とうとう今年,サボってしまいました。というわけで,先週末の新宿エイサーの実物は見ていないけれど,沖縄からもティーモーイエイサーの雄,読谷村楚辺青年会も迎えて,きっと大盛況だったんじゃないでしょうか。
さて,今回は新宿エイサーまつりに出場した沖縄の青年会についてです。歴代の出場青年会名は前記事で羅列しましたが,こんどは第1回から今年(第8回)までの歴代出場の沖縄青年会を写真ないし動画で鑑賞してみましょう。
※注!2002年7月27日に沖縄県主催の全国エイサー道ジュネーとの共催イベントが,第1回新宿エイサーまつりであることが判明しました。見解が別れており現在も当時の詳細な事情を沖縄側と新宿側の各方面から調査中ですが,2002年を第1回とカウントすれば,以下の表記回数はそれぞれ1回ずつズレます。すみません(2010/8/25記)。なお,2002年7月27日の沖縄からの出場は,沖縄市胡屋青年会と糸満市喜屋武青年会。
【第1回(2003年)出場団体】
●宜野湾市宜野湾区青年会
写真は新宿エイサーではなく昨年の宜野湾市エイサー祭りのもの。なお,この青年会のエイサーことを詳しく知りたい方は過去記事「‘エイサーよぉ〜 さ〜エイサ♪ ’【宜野湾市宜野湾区青年会】」を参照ください。
●大里村(現,南城市)大城青年会
第1回新宿エイサーにて撮影。
【第2回(2004年出場団体】
●金武町並里区青年会
並里区青年会エイサーの大変素晴らしい動画がありましたので,写真の代わりに引用させていただきます。下記をご覧ください。
金武町並里区青年会のエイサー動画
クリックするといきなり動画がスタートしますが,これはつい先日終わった8月1日の那覇の一万人エイサーでの金武町並里区青年会の動画です。
金武町並里区エイサー,一番の見せどころ「テンヨー節」の場面。太鼓,手踊りなど満遍なくとらえられていて,エイサーの様子がよくわかります。このエイサーの特徴である鉦打ちの存在が動画の中でも何度か確認できます。また,隊列後方まで隈なく録画されているので,女子手踊り(黄緑色の衣装)が上下に扇子を振りかざす動きも一瞬,確認できます。
●南風原町津嘉山青年会
この青年会は後出の第5回(2007年)のところで紹介します。
【第3回(2005年)出場団体】
●浦添市仲間青年会
写真は新宿エイサーではなく2003年に浦添市内で撮影のもの。
【第4回(2006年)出場団体】
●読谷村楚辺青年会
手踊りが主体のエイサーです。今年第8回にて2度目の出場しました(第4回新宿エイサーにて撮影)
【第5回(2007年)出場団体】
●南風原町津嘉山青年会(2回目)
2枚とも第5回新宿エイサーにて撮影。右の写真がパーランクー,左が女子手踊り(ジーヌー)。この青年会は第2回と第5回の二度,新宿エイサーに出場しました。
【第6回(2008年)出場団体】
●糸満市米須青年会
第6回新宿エイサーにて撮影。指導元の沖縄市園田青年会のエイサーの型を色濃く反映しているエイサーでした。
【第7回(2009年)出場団体】
●沖縄市山里青年会
写真は新宿エイサーではなく沖縄市内で撮影したもの。
●読谷村高志保青年会
写真は新宿エイサーではなく2008年に読谷村内で撮影したもの。高志保の民俗芸能「馬舞」の所作を取り入れて「唐船どーい」で締太鼓を蹴り上げるところ(右写真)が特徴のひとつ。
そして今回,【第8回(2010年)】は第4回に引き続いて読谷村楚辺青年会が2回目の出場をした次第です。
・・・以上,初回〜今年第8回までの新宿エイサー出場の青年会です。これら沖縄の団体は,他の出場団体や観客に対して,本場のエイサーがどういうものかを見せるという大きな役割を果たしてきたことは前記事でも述べたとおりです。
そしてどの年も,これら沖縄の青年会が見せるエイサーは関東各地から出場している他団体のエイサーとは一味も二味も違った雰囲気を醸し出していたのは事実だと思います。実際にご覧になられた方ならばおわかりになると思いますが,どちらかといえば明るくて垢抜けた感じがする関東の団体(創作太鼓集団ならばその傾向はなおさら)に対して,素朴で土臭いというかアトラクションではなく土着の地域行事としてのエイサーを強く感じさせるものだったのではないでしょうか。例年,創作太鼓の出場割合が高い新宿エイサーなので,その伝統の色彩は一層目立ったのではないでしょうか。
来年の第9回新宿エイサーまつりにも,きっと沖縄の青年会が招聘されることでしょう。
これは自分個人の意見になりますが,いつの日か新宿エイサーまつりにおいて,沖縄本島北部で受け継がれている手踊りエイサーや恩納村北部で見られる古いパーランクーエイサーの類が,民俗的ともいえるその伝統の技を披露することがあればと思ったりします。なんだったら,数百年前のスタイルから殆ど変化していないといわれる念仏エイサーが新宿エイサーまつりに来てくれるというのもいいかもしれない。
下の3枚の写真が言及した伝統エイサーの例です。
●左から,名護市の手踊りエイサー,恩納村北部のパーランクーエイサー,那覇国場に残る念仏エイサー。いずれも戦前あるいは明治維新より前のスタイルを色濃く残しています。
・・・とはいっても,このような古いエイサーはやはり地域の伝統であり宗教行事です。むやみに外交やまつりに出向くことはせず,基本的には旧盆のうち古くから定められている期日にしかエイサーを行わないスタンスを概ね守っているはずなんです。新宿エイサーまつりにおいて,原点の何たるかを体現するには恐ろしいほど最適な気もするのですが・・・
伝統の正しい姿を多くの人に伝えるのは大事だけれど,古き良き伝統を見世物にしてはならないのもまた事実
古いエイサーを招聘するというのはそう単純ではないかもしれませんね。というわけで,今すぐにでもこれら古き良きエイサーを拝観なされたい方々は,旧盆ウークイかその翌日あたりにでも沖縄にまで足を運んでくださいな
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【第1回(2003年)出場団体】
●宜野湾市宜野湾区青年会
写真は新宿エイサーではなく昨年の宜野湾市エイサー祭りのもの。なお,この青年会のエイサーことを詳しく知りたい方は過去記事「‘エイサーよぉ〜 さ〜エイサ♪ ’【宜野湾市宜野湾区青年会】」を参照ください。
●大里村(現,南城市)大城青年会
第1回新宿エイサーにて撮影。
【第2回(2004年出場団体】
●金武町並里区青年会
並里区青年会エイサーの大変素晴らしい動画がありましたので,写真の代わりに引用させていただきます。下記をご覧ください。
金武町並里区青年会のエイサー動画
[出典]youtube動画「OKINAWA沖縄海遊び〜島唄、海水魚飼育」(著作者:daichan71 さん)
クリックするといきなり動画がスタートしますが,これはつい先日終わった8月1日の那覇の一万人エイサーでの金武町並里区青年会の動画です。
金武町並里区エイサー,一番の見せどころ「テンヨー節」の場面。太鼓,手踊りなど満遍なくとらえられていて,エイサーの様子がよくわかります。このエイサーの特徴である鉦打ちの存在が動画の中でも何度か確認できます。また,隊列後方まで隈なく録画されているので,女子手踊り(黄緑色の衣装)が上下に扇子を振りかざす動きも一瞬,確認できます。
●南風原町津嘉山青年会
この青年会は後出の第5回(2007年)のところで紹介します。
【第3回(2005年)出場団体】
●浦添市仲間青年会
写真は新宿エイサーではなく2003年に浦添市内で撮影のもの。
【第4回(2006年)出場団体】
●読谷村楚辺青年会
手踊りが主体のエイサーです。今年第8回にて2度目の出場しました(第4回新宿エイサーにて撮影)
【第5回(2007年)出場団体】
●南風原町津嘉山青年会(2回目)
2枚とも第5回新宿エイサーにて撮影。右の写真がパーランクー,左が女子手踊り(ジーヌー)。この青年会は第2回と第5回の二度,新宿エイサーに出場しました。
【第6回(2008年)出場団体】
●糸満市米須青年会
第6回新宿エイサーにて撮影。指導元の沖縄市園田青年会のエイサーの型を色濃く反映しているエイサーでした。
【第7回(2009年)出場団体】
●沖縄市山里青年会
写真は新宿エイサーではなく沖縄市内で撮影したもの。
●読谷村高志保青年会
写真は新宿エイサーではなく2008年に読谷村内で撮影したもの。高志保の民俗芸能「馬舞」の所作を取り入れて「唐船どーい」で締太鼓を蹴り上げるところ(右写真)が特徴のひとつ。
そして今回,【第8回(2010年)】は第4回に引き続いて読谷村楚辺青年会が2回目の出場をした次第です。
・・・以上,初回〜今年第8回までの新宿エイサー出場の青年会です。これら沖縄の団体は,他の出場団体や観客に対して,本場のエイサーがどういうものかを見せるという大きな役割を果たしてきたことは前記事でも述べたとおりです。
そしてどの年も,これら沖縄の青年会が見せるエイサーは関東各地から出場している他団体のエイサーとは一味も二味も違った雰囲気を醸し出していたのは事実だと思います。実際にご覧になられた方ならばおわかりになると思いますが,どちらかといえば明るくて垢抜けた感じがする関東の団体(創作太鼓集団ならばその傾向はなおさら)に対して,素朴で土臭いというかアトラクションではなく土着の地域行事としてのエイサーを強く感じさせるものだったのではないでしょうか。例年,創作太鼓の出場割合が高い新宿エイサーなので,その伝統の色彩は一層目立ったのではないでしょうか。
来年の第9回新宿エイサーまつりにも,きっと沖縄の青年会が招聘されることでしょう。
これは自分個人の意見になりますが,いつの日か新宿エイサーまつりにおいて,沖縄本島北部で受け継がれている手踊りエイサーや恩納村北部で見られる古いパーランクーエイサーの類が,民俗的ともいえるその伝統の技を披露することがあればと思ったりします。なんだったら,数百年前のスタイルから殆ど変化していないといわれる念仏エイサーが新宿エイサーまつりに来てくれるというのもいいかもしれない。
下の3枚の写真が言及した伝統エイサーの例です。
●左から,名護市の手踊りエイサー,恩納村北部のパーランクーエイサー,那覇国場に残る念仏エイサー。いずれも戦前あるいは明治維新より前のスタイルを色濃く残しています。
・・・とはいっても,このような古いエイサーはやはり地域の伝統であり宗教行事です。むやみに外交やまつりに出向くことはせず,基本的には旧盆のうち古くから定められている期日にしかエイサーを行わないスタンスを概ね守っているはずなんです。新宿エイサーまつりにおいて,原点の何たるかを体現するには恐ろしいほど最適な気もするのですが・・・
伝統の正しい姿を多くの人に伝えるのは大事だけれど,古き良き伝統を見世物にしてはならないのもまた事実
古いエイサーを招聘するというのはそう単純ではないかもしれませんね。というわけで,今すぐにでもこれら古き良きエイサーを拝観なされたい方々は,旧盆ウークイかその翌日あたりにでも沖縄にまで足を運んでくださいな
2010年8月4日
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Posted by まほろば旅日記編集部 at 23:43
│雑談・ひとりごと
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沖縄の青年会@新宿エイサー祭2010【KIのエイサー旅日記】at 2010年08月05日 19:02
数年間,エイサーを追っかけ続けていると,エイサーに関するいろいろな話題が自然と耳に入ってきます。そういう話題のひとつが・・・伝統と創作の違いについてこれ,実は結構微妙な...
新宿エイサーまつりが終わって思うこと(2)〜伝統と創作【KIのエイサー旅日記】at 2010年08月06日 02:41
鎌倉のKIでございます。 こちらKIのエイサー旅日記にて,先月初めに新宿エイサーまつりについて3報ほど記事をアップしました。そして,2ヶ月近く経ち,今年もエイサーシーズンが終息...
新宿エイサーまつりが終わって思うこと(3)〜その始まりは【KIのエイサー旅日記】at 2010年09月30日 00:04